May.26.2012 加計呂麻島、奄美大島(古仁屋市街・南部)Kakeroma-jima, Amami-Oshima Southern part


名瀬からバスで約1時間半、奄美大島第二の街、古仁屋へ。そこから渡し船で対岸に渡ったところにある島が、加計呂麻島です。対岸の古仁屋と海峡を挟んだ両岸が、瀬戸内町という一つの町になっています。


渡し船の、フェリーかけろまは、加計呂麻バスに接続。この加計呂麻バスは、全国でもここだけの、新聞配達をする路線バスです。運転手が新聞に折込を挟み、道路脇に設けられた、各家庭の新聞受けに放り込んでいきます。




バスのダイヤは決まっているので、それに合わせて受け取りに来る人も居ます。


加計呂麻島は、諸鈍のデイゴ並木が有名ですが、今年は病気らしく花を咲かせていませんでした。


それでも、バスの沿道には、花を咲かせたデイゴの木が見られました。


加計呂麻島を、新聞配達バスで走り、再び大島に戻ります。


大島海峡から望む古仁屋市街。


ここも狭い土地に住宅が密集します。







商店では、加計呂麻の名産品が売られます。


カツオが獲れるようで、鰹節も作られていました。



古仁屋港は、鹿児島市からのフェリーも寄港する港で、フェリーに合わせてスーパーが配達を行なっていました。


古仁屋から、名瀬に戻る途中、住用にあるマングローブ。日本のマングローブとしては、西表島に次ぐ大きさでです。日本の自然のマングローブとしては、奄美大島が北限です。




どうみてもただの民家ですが、郵便局です。


大和村の今里地区には、伝統的なサンゴの石垣が残ります。


この石垣に立てかけられた棒は、ハブ退治の棒。サンゴの石垣の間は、ハブの絶好の住処で、ハブが出てきた際に備え、用意されています。


ハブの危険性から、サンゴの石垣は姿を消し、今は殆どがブロック塀です。


ところで、奄美大島南部には、奉安殿が数多く残っています。奉安殿は、戦前、御真影と教育勅語を納めていた建物。戦前はどの小学校にもありましたが、戦後、GHQの神道指令で廃止され、その殆どは解体されました。しかし、奄美大島南部の小学校では何故かほぼそのまま残され、今も文化財として保存されています。戦後、日本から分離された土地のほうが、戦前のものが残っているというのも、不思議なものです。

明日は、早朝、奄美大島を離れ、徳之島に渡ります。

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