May.28,29.2012 沖永良部島 Okinoerabu-jima


徳之島からフェリーで約2時間、一つ南の島、沖永良部島に向かいます。海から見てわかるように、奄美大島、徳之島と異なり、高い山がありません。沖永良部島や、同じく珊瑚で標高の低い与論島にはハブが居ませんが、これは、かつて海面上昇で沖永良部島と与論島は水没し、ハブが死滅したのに対し、奄美大島、徳之島は高い山が海面上に残り、ハブが生き残ったと言われています。


フェリーは、和泊港に入港します。沖永良部島は、和泊町と知名町の二町からなり、それぞれに定期船が来る港があります。沖縄へ向かう船は、和泊港に泊まるので、こちらがメインと言えます。


和泊港


沖永良部島は、珊瑚礁に囲まれた平坦な島。周囲は美しい青い海です。




島には、ヤギが放牧されています。


とても人懐こい


海辺を走る道は、天気がよいととても気持ちがいいです。


沖永良部島のシンボルとも言えるのが、この日本一のガジュマルの木。国頭小学校の校庭に立ちます。



沖永良部島は珊瑚の島で、石灰岩で覆われるため、雨は地表を流れる事なく地下水となり、海に注ぎます。島人は、地下を流れる川(暗川・くらごう)へ、深い穴に降り、水を得ていました。現在では水道が整備されましたが、各集落には、水汲み場が残されています。



こちらは、ジッキョヌホーと呼ばれるもの。ホーは沖永良部の言葉で川の意味。少ない水を効率的に利用するため、このような水汲み場を整備し、利用してきました。



上流側から、野菜等を洗う場所、


洗濯等をする場所、


牛が体を荒い、水を飲む場所というように、利用されていました。左の杭のようなものは、牛を牽く紐を繋いでおく所です。



沖永良部島の高倉は、六本足です。



お墓ですが、その形、大きさが、本土のものと大きく異なるものです。奄美大島、徳之島までは本土に近いものであったのに対し、これは沖縄のものに近い形です。沖永良部島は、徳之島までの奄美文化圏に対し、はっきりと沖縄文化圏になります。




台風の多い地域だからか、神社も鉄筋コンクリート製。


南洲神社。文久2年(1862年)、西郷隆盛は、薩摩藩主島津久光の怒りを買い、沖永良部島に流されました。そのため、島には西郷隆盛にまつわるものが、いくつも見られます。



島の東シナ海側にある第3の港、伊延港のそばに立つ、西郷隆盛上陸の地の碑。


和泊市街の様子。






和泊から知名の間の風景。赤土が目立ちます。


知名市街




沖永良部島を巡回する路線バス。



島は全体的になだらかな傾斜地になっています。


沖永良部島の主産品といえば黒糖。


はったい粉は、大麦を炒って挽いた粉。


島の魚。マチは、沖縄方言で、標準語ではハマダイなどを指します。





28日の昼に着き、翌29日のお昼に、沖永良部島を離れます。昨日着いた和泊港に着くはずが、強風で太平洋側が荒れたため、急遽着岸が、東シナ海側の伊延港に変更になりました。自転車があるので移動は容易でしたが、徒歩の旅人は数少ないタクシーが捕まえられないと、かなり困った事になるでしょう。仮に港が太平洋側にしかなければ、フェリーは着岸できず通過せざるを得ないので、離島に複数の港を整備する意義は大きいと言えます。

次は、鹿児島県最南端の島、与論島に向かいます。

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