May.29,30.2012 与論島 Yoron-jima






与論島。鹿児島県、奄美群島最南端のこの島の、海の美しさは圧倒的です。どこまでも続く、淡青の海、白い砂浜、珊瑚礁。この美しさは、世界のどの海にも負けないでしょう。



沖縄本島からわずか23km。肉眼でもその島影を確認できる近さの両島は、文化的にも深いつながりを持ちます。家並みは、まるで沖縄と同じで、赤瓦の平屋に、掲げられるシーサー。 




昔ながらの与論島を保存するのが、与論民俗村。茅葺屋根の古民家や、往時の生活道具の展示の面白さもさることながら、ここを管理していらっしゃる、与論の島人(しまんちゅ)のお話が、大変興味深いものでした。

管理されている方々は、そこそこ高齢の方(60歳以上)で、案内は標準語でして下さるのですが、島人同士の会話は、与論方言で話されており、それが私には全く何一つ理解できないものでした。これは方言というより、「与論語」という一つの言語と言い得るほど、例えば標準語と関西弁の差などとは全く別次元の乖離でした。

しかし、一方で、島人は綺麗な標準語を話します。この方々が、小学校に通っていた当時は「標準語」の授業があり、その中には標準語のリスニングまでカリキュラムにあったそうです。まるで東京の人が、英語を勉強するような感覚で、「標準語」を勉強していたそうです。

今では、テレビが普及し、全国放送で標準語が流れる時代ですから、そのような状況ではないのでしょう。けれども、ほんの少し、まだその世代の方がご健在である程度の昔に、日本の国内で、そこまでの言語の多様性があったということは、想像の外でした。そのようなことを知ることが出来たことは、この島を訪れた、大きな収穫でした。



もはや奄美群島のシンボルと言っても良いのではないかと思う高倉。与論島のそれは9本足です。


与論島は、周囲23kmの小さな島。与論町一町で、その中心が、茶花の市街です。


与論島は、奄美群島復帰の1953年以降、沖縄復帰の1972年まで、日本最南端の地でした。当時は、海外渡航規制があり、ドルも360円、海外旅行が夢のまた夢であった時代、多くの観光客が、美しい海を求めてこの島にやって来ました。特に、ヒッピー系の若者が多く集まり、茶花の中心街は歩行者天国になり、まるで渋谷のセンター街のような様相だったそうです。しかし、沖縄復帰、海外渡航規制の撤廃、円高という時代の流れの中で、ヨロンブームは去り、今は往時を想像するのも難しい、静かな離島に戻っています。




与論島に限らず、奄美群島(特に奄美大島)の各集落には、必ずといっていいほど教会があります。これは、本土に比べると明らかに多いもので、特徴的です。


与論の漁港には、島近海の特有の魚介が水揚げされます。


もずくは特に名産品。もずくを練りこんだ「もずくそば」なるものも販売されています。







もう一つの名産が、ヤギ。



ヤギ汁は、沖縄の伝統料理ですが、ここ与論のヤギ汁は、臭みがなく絶品とされてれいます。これは、与論ではその日の朝に絞めたヤギの肉のみを使うからだそう。確かに、独特の旨味を出しながらも、臭みもなく柔らかい与論のヤギ肉は、絶品でした。


小さな与論島には、港は一つ、茶花市街に程近い、泊港のみです。港が一つということは、荒天時には抜港(船が寄稿せず通過すること)になりやすいという事です。幸い、私が来た日も、出た日も、無事船は接岸しました。


そのような港の不確実性を補うのが、与論空港。人口約6000人の島ですが、毎日鹿児島と沖縄、そして沖永良部との三角航路で奄美大島まで、定期便が運行されています。



さて、奄美群島を下る旅もいよいよおしまい。次は、沖縄本島北部の本部港に向かいます。

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