Dec.30.2012 2012年最後の日の出 Last sunrise in 2012


ただいま、ロサンゼルス国際空港にて、東京成田国際空港行きの飛行機を待っております。
現地時間では、12月30日の朝ですが、これから日付変更線を越えますので、日本に着くのは12月31日の夕方。つまり、私にとっては、これが2012年最後の日の出となります。

今年も様々なことがありましたが、最後に偶然にもこのように美しい日の出が見られて、良き一年であったなと、振り返り思います。

今年は、5月20日までの前半と、以降の後半で、180度違う生活でした。前半は、太陽の元にいたのが数えるほどの、室内で過ごした日々でした。一転後半は、家にいたのが数えるほど、旅をし続けた日々でした。
幸いにも、目標としていた、司法試験合格という結果を出すことができ、その上、旅をしながら、様々な経験をし、また様々な人と出会うことができ、世界が大きく広がったと思える一年でした。

特に振り返れば、旅をきっかけに出会えた人の多きことに驚きます。コーカサスで出会った皆さん、ヨーロッパで出会った皆さん、中央アジアを共に旅した皆さん、山形をきっかけに出会った皆さん、アメリカで出会った皆さん、メキシコで出会った皆さん、私が今まで日常を過ごしてきたコミュニティというのは、実は友達の友達が友達であるくらい狭いコミュニティでしたが(現にFacebookなどでは、必ずと言っていいほど「共通の友人」が表示される範囲です)、旅先で出会えた皆さんは、その枠に収まらない、違った世界の日常を持っていらっしゃり、話していて様々なことを気付かされ、学ばされ、またそれでいて、旅という共通の価値観を共有できる友人足り得る、私にとって大変貴重な存在です。個々の出会いは偶然ですが、旅に出ると、このような偶然が必然的に訪れる、だから私は旅が好きなんだなと思います。

そして、このように旅を出来ること自体に、感謝する気持ちでいっぱいです。私は、旅が出来るのは、帰るところがあるからだと思っています。帰るべき日常があるからこそ、旅をしている時空間は非日常足りえる。だからこそ、様々なことに敏感に成り得、日常以上に充実した時間を過ごせるのだと思います。そしてまた、帰るべきところが帰りたいところであるから、安心して旅が出来るのだと思います。
ですから、私は、こうして日本に帰る、帰るべき場所に帰る飛行機を待つ時間がとても好きです。そして、そう思わせてくれる、帰るべき場所を守ってくれる家族には、何よりも感謝しています。

家に着くのが31日も暮れようとする頃で、ブログを更新する余裕もないでしょうから、一日早いですが、一年を振り返ってみました。日本時間では、日付も変わって31日になっていますしね。

それでは皆様、よいお年を。

Dec.29.2012 帰省します return to Japan

帰省します。本日メキシコ時間29日の夕方、メキシコシティー空港から飛んで、日本に帰ります。
経由便なので、乗り継ぎ時間含め約30時間。時差が15時間あるので、名目では46時間半。成田に31日の夕方に到着します。
直行便なら12時間半ほどで着くのですが、直行便はものすごく高いので、経由便です。ちなみに、日本から出るのと違い、日本へ年末年始に行く便は、特別高くなったりはしないところが面白いところです。
これで旅を終わりにするわけではなく、また1月の中旬頃再出発のつもりです。年明けを海外で過ごすことも考えていたのですが、正月は家族で過ごすという家の方針もあるので、帰ることにしました。体調もいまだ回復しきらないし、少し旅に疲れてきたので、日本に帰って出直すほうが、よりよい旅になるとの判断です。
それでは、いまから空港に向かいます。

Dec.28.2012 モンテ・アルバンとメキシカンカレー Monte Alban


モンテ・アルバンは、オアハカ盆地を囲う山の上にある遺跡。紀元前500年頃から建設が始まり、紀元500年から800年頃最盛期を迎えた古代都市。最盛期には2万5千人がこの都市に生活していたと見られています。未解読のサポテコ文字の碑文が残されるなど、メソアメリカ文明を考えるにあたり、非常に重要な考古遺跡です。







モンテ・アルバンへは、オアハカの市街からシャトルバスが出ており、簡単にアクセスできます。山の上ですが、自動車道も整備され車でのアクセスも容易です(そのおかげでものすごい人出でしたが)。


ところで、オアハカ市街地にもどって来た後、市場の食堂街で食べたこのカレーのようなものが非常に美味しかったです。正しくはMOLE con POLLO ARROZという料理。MOLEはチリトウガラシ・チョコレート・ゴマなどを煮込んだソース、POLLOは鶏肉、ARROZはコメなので、鶏肉とご飯のモレソース掛けといったところ。モレはスパイシーな中にチョコレートによるコクが非常によく出ており、また鶏肉もふっくらと柔らかく肉汁たっぷりで、とても美味しかったです。これで50ペソ(トルティージャ付き)≒330円。やはりメキシコは食に関して素晴らしいです。この味、日本にあったら通います。家で再現できるか試してみたいですね。

Dec.27.2012 オアハカ Oaxaca


メキシコシティーからバスで東に5時間半、オアハカにやって来ました。オアハカは、碁盤の目状にコロニアル建築が並ぶ美しい街。中心部の歴史地区は、メキシコシティーのような喧騒もなく、終始ゆったりとした時間の流れる街です。


オアハカ州は先住民の割合も高く、伝統衣装を纏い、民芸品を売る姿も散見されます。




歴史地区を外れると、喧騒のローカルの街。天幕の張り巡らされた巨大な市場は、方向感覚を失わせる広さ。市場を覗けば、その土地らしさがあふれて来ます。





Dec.26.2012 メキシコシティー Mexico City


メキシコシティーは、メキシコの首都であり、ラテンアメリカを代表する大都市ですが、この地にはかつて、テノチティトランというアステカの都がありました。1520年代まで、テスココ湖上に浮かぶ島に人口30万人ともいわれる大都市が存在し、先住民アステカ人の国がありました。しかし、コルテス率いるスペイン征服軍に徹底的に破壊され、その上に植民都市メキシコシティがつくられました。
メキシコシティに残る植民地時代の古い教会は、アステカの都市を破壊したその石材をもって、アステカ人を使役してつくられたものです。




写真で見ていただけるように、破壊されたアステカの都市の土台と教会の石材が同じであることがわかります。また、その成り立ちから、メキシコシティーはどこを掘ってもアステカの遺構が出てきます。
アステカの霊魂を封印するかのように、上に重くのしかかる植民都市メキシコシティー。


時代は流れ、スペイン植民地は独立し、メキシコという国が生まれました。征服した者と、征服された者、双方の血が流れるメキシコ人にとって、この光景はどう映るのか。ルーツに疑いを抱かない日本人である私には、想像のつかないものです。ただこの碑文、「勝利も敗北も無かった、耐え難い苦しみのうちにメスティーソの国が生まれた、それが今日のメキシコである」という言葉が、それを語っているような気がします。







Dec.25.2012 人類学博物館からのルチャ・リブレ anthropology museum / lucha libre


国立人類学博物館は、ティオティワカン、アステカ、マヤなど、メキシコに栄えた文明の遺品を展示した博物館。各地の遺跡で出土した名品はここに集められ、展示されています。


様々見応えのある収蔵品がありますが、私が特に興味を持ったのは、マヤの文字。この文字は独特で、かつ、数字にはゼロの概念があるなど、大変先進的なもので、実に興味深いものです。





こちらは、パレンケの碑文の神殿から発見された、パカル王の翡翠の仮面。翡翠が価値を持つのは、広く世界に通ずるようです。


アステカの至宝、太陽の石。太陽神を中心として、20日を1ヶ月とする18ヶ月に空の5日間を加えた365日の暦。スペインに侵略され、打ち捨てられた後も、アステカの人々の信仰を集めた聖なる石です。


博物館では、先住民の遺品のみならず、今に生きる先住民の文化も紹介されています。その先住民アートの一つ。メキシコの鮮やかな色使いは、先住民の感性が引き継がれたものではないかと思えてきます。


日中博物館を見学した後、夜はメキシコのプロレス、ルチャ・リブレの観戦に。善玉、悪玉に別れ、劇のような演出の試合。観客は贔屓の選手にコールをかけ、大技が決まると会場の熱気は最高潮に達します。







人類博物館を1人じっくり見学し、同宿の人9人でわいわいルチャ・リブレ観戦。そんなメキシカンクリスマスでした。

Dec.24.2012 古代都市ティオティワカン Teotihuacan


メキシコシティから北へ50km、そこに現れる巨大な古代都市、ティオティワカン。
紀元前2世紀から、6世紀まで栄え、そして滅びた、古代メソアメリカ最大の都市。
最盛期の人口は、10万とも20万とも言われ、同時代の世界の他の都市と比較しても、その規模は抜きん出るもの。
しかし、文字文献を殆んど残さず消えたティオティワカン人の文明のその内実は、未だ殆んどわかっていません。
ですが、この巨大な古代都市のその空間にその身を置けば、その文明の息杖が伝わってくるような、そんな気がします。