Jan.5.2013 妻籠と名古屋の名物たち Tsumago and Nagoya


妻籠は、長野県木曽郡南木曽町にある、かつての中山道の宿場町で、江戸時代の街並みを今に残す所です。
中山道は、かつては東海道と並ぶ、東西交通の大動脈でした。大雨により河川で足止めされることもしばしばであった東海道に対し、所要日数が読み易い山道の中山道を選ぶ旅人も多く、宿場町もまた大変な賑わいを見せていたそうです。
しかし、明治維新を経て、鉄道が開通すると、徒歩の交通が主体であった時代は終わりを告げ、鉄道の通らなかった妻籠を訪れる人は、ぱたりと止みました。
木曽の深い山間に位置するこの町は、米を作ることもできない貧しい土地で、宿場以外の産業はありませんでした。唯一の望みであった、木曽ヒノキに代表される林業も、明治政府により山林が御料林とされ、自由に切る事を禁じられたため、住民は食べる糧を失い困窮しました。その結果、住民は貧しく、建物を建て替える余裕もなく、町は冷凍されたかのように、時代の流れに取り残されました。


戦後、高度成長に取り残された町から人口の流出は続き、いよいよ集落は存続の危機を迎えました。そんななか、江戸時代の宿場町の雰囲気を色濃く残す街並を、町興しに観光業での生き残りを図る動きが起り、日本で初めての重要伝統建築群保存地区に指定されるに至りました。
皮肉にも、時代の流れに取り残され、見向きもされなくなったことが、生き延びる道となったわけです。
現在では、「街並み保存」「歴史的景観」といった言葉が一般化しました。いわゆる鞆の浦訴訟では「景観利益」というものを裁判所が認めるに至るほどになっていますが、妻籠の保存運動が起こった当初は、そのような言葉さえ存在しなかったわけです。「景観利益」の原点という意味でも、妻籠という町は重要な意義を持つ所です。




囲炉裏の間に光が差し込むのは、南中高度の低い冬場だけ。この光景は冬の晴れた日にしか見られない貴重なものです。夏は日が入らずひんやりと、冬は日の光を取り入れ明るく暖かく、自然の法則を考慮にいれた設計。歴史的建造物を見ると、その時代に生きた人の知恵が、そのまま今に伝わり、あたかも彼らと対話しているような気になる、そんな素晴らしさを感じられます。


囲炉裏の正面は主人の席。玄関の出入りを一望でき、一家の采配を振るう者の席です。正面から見て左手が客人の席。神棚を正面にする席です。主人の対面は下座。主人のために火をくべる席。板張りで、囲炉裏の熱気はあたらず、煙だけがくる席。ここは子どもたちの席。厳しい環境におく事で、子どもの成長を促す躾けとしての意義がありました。正面右手は奥方の席。上座が姑、下座が嫁。上座は畳張りでしたが、下座は板張り(茣蓙の下がそうなってます)。ここにもハッキリとした序列があります。このように、囲炉裏を囲む席次の配置一つを見ても、封建社会という時代背景がはっきりと伝わって来ます。
この建物は、脇本陣に指定されていた建物で、普段は酒屋でした。江戸時代、尾張徳川家の領地だった時代は、檜を切る事を禁じられていましたが、江戸幕府の崩壊でその禁が解かれたため、明治初期に檜造りで建て替えられた建物です。当時は宿場が衰退するとは夢にも思わず、贅の限りを尽くし、改築したわけです。実際、明治天皇が行幸中に立ち寄るなど、格式の高い建物でした。


檜の木も切った当初は当然明るい木の色なわけですが、見ての通り黒くなっています。これは、防虫防腐効果を狙い、いろりで煙を燻し続け、いわば燻製状態にしているためです。煤がついた木は黒くくすみます。そのうち、人手により磨かれた所だけが艶立ち黒光りしています。よく壁をみると、光沢のある所とない所の境目があり、この家の住人の手の届いた高さがわかります。私が手を伸ばすと随分下に境目がくることからも、明治の女性の身長が、今の女性よりも低かったことも見て取れます。


こちらは、明治天皇が御使いになった机。当時としては最新式の組木による机です。天皇陛下が御使いになるのに釘で打った物では失礼にあたると考えられたのでしょう。


天皇陛下が御手洗いを御使いになるのに、既使用のものでは失礼にあたると新調された御手洗い。しかし、明治天皇は使われることなく、その後百年以上を経た今も、一度も使われたことのない御手洗いです。


島崎藤村は、隣の馬籠宿に生まれ、この妻籠にも縁の深い人物でした。幼馴染であった隣の女の子が嫁いだ先がこの家。藤村は後にこの女性が初恋の人であったことを明かす詩を詠んでおり、その縁でこのような直筆の詩文が残されています。
また、藤村の代表作「夜明け前」は、庄屋の当主であった実父をモデルに、天皇と神道を基軸とする明治維新により、貧しい木曽の山間に「夜明け」がくる事を期待し、しかし、その実態は木曽の実情を知らぬ薩長政権で、幕藩体制より更に劣悪な状況におかれてしまったことへの、その裏切られたという思いを描いたもの。
東京という都会に生まれ育った私には、直ぐには理解し難い、「地方」というものが、こうして足を運ぶことで、少し見えてくるような気がします。


木曽の檜は、伊勢神宮の建材にも使われます。こちらは伊勢神宮を模した神棚。今年は20年に一度の式年遷宮の年。木曽の檜で、あらたな社殿が建立されます。

ちなみに、ここで書いている話のほとんどは、机と一緒に写っている、博物館の解説員の方に伺ったお話です。この脇本陣と資料館は、入館料600円で、その規模からすると少し高い印象を受けますが、上のようなお話を詳しく解説していただけるので、十分その価値があると思いました。
夏場は観光客も多く、また、上の光も見ることができないので、冬場に訪れるのがいいと思います。山間でものすごく冷えるので、防寒は必須ですが。


ところで、名古屋って、「名物」の多い町ですね。名物は各地にあれど、ここまで「名物」の多い町は名古屋くらいじゃないかと思います。「名物が多いこと」が名古屋の一番の名物ですね。












明日はお伊勢参りをしてきます。

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