Mar.31.2013 移動日(サンパウロ→リオ)to Rio de Janeiro


ブラジル第一の都市サンパウロと、第二の都市のリオ・デ・ジャネイロ間の距離は430km、高速バスで約6時間、数社が20分に一本程度の頻度で運行しています。


ブラジルの高速道路はよく整備され、他の国の一般道との区別がないハイウェイと違い、日本の高速道路のように明確に高規格道路が整備されています。サービスエリアがあるのも特徴です。


といっても、沿道にはのどかな風景が広がります。ブラジルで最も人口密度が高い地域とは言え、日本の東海道ベルトとは異なります。




サンパウロは標高約800m、リオ・デ・ジャネイロのかなり近くまで高原を走ったあと、片峠を下り、標高0mのリオ・デ・ジャネイロに降りてきます。緯度的にはほとんど変わらないものの、サンパウロに比べ、むっとする、湿度も気温も高い空気に包まれます。

この区間、当初はサッカーW杯に合わせ、高速鉄道の建設が計画されていましたが、未だ着工に至っていません。計画では、最高時速360km/h、サンパウロ・リオ間を80分で結ぶとされていますが、実現は不透明です。もっとも、距離にして東京・京都間に、都市圏人口1000万を超える都市が位置し、現時点でも飛行機・バスともに相当の本数が運行されている区間ですから、潜在的な需要は相当なものでしょう。
技術的には、リオ・デ・ジャネイロを出て直ぐに、標高800を一気に登るしかないところが問題ですが、碓氷峠(長野新幹線、群馬長野県境、標高939m)に新幹線を通した日本の新幹線技術からすれば問題はないでしょう。問題は、ブラジルの国内問題で、入札が度々延期されていることです。新興国のインフラ市場は開拓の余地がありそうですが、新興国特有の内政リスクをどう見るかが、難しい所です。


Mar.29,30 サンパウロ-日本人街リベルダージ- Sao Paulo Liberdade Japan town











何も言われずに、これらの写真を見て、これが地球の裏側の風景だと思う人はまず居ないでしょう。


サンパウロには、いわゆる「中華街」のような、日本人街があります。昨年末に訪れた、ロサンゼルスのリトル・トーキョーが日本人街としての機能を失っている今(Dec.14.2012 ロサンゼルスの記事参照)、大都市の「日本人街」としては世界で唯一です※。休日になると多くの現地人観光客が押し寄せる、横浜の中華街のような存在です。

※世界の主要都市には、駐在員関係など日本人の多く住む地域というのは存在しますが、街区として日本色を打ち出しているのはこれらに限られます。なお、日本人・日系人のコロニー(集住地)は、南米に幾つか存在します。



日本人の海外移住の歴史は古く、室町期には、現在のタイのアユタヤを始め、東南アジアに数多くの日本人町が形成されました。しかし、江戸幕府の鎖国政策もあり、次第に衰退、日本人町は消滅していきました。再び日本人の海外移住が始まったのは、幕末の開国、明治維新を経てから。幕末以降の急速な人口の増加により、労働力過多となった日本は、明治元年(1868年)にハワイへの集団移民を皮切りに、米国本土(1888年~)、ペルー(1899~)、そしてブラジル(1908~)と移民を送り込んで来ました。江戸期以前と異なるのは、これらが政府主導で、受け入れ国との移民契約が行われ、集団移民として政策的に行われたことです。

ブラジルへの移民は、1908年の笠戸丸移民を皮切りに、1930~34年に最盛期を迎え、1941年第二次世界大戦により途絶えるまで、戦前に約20万人、戦後も1953年の受け容れ再開から、1973年の移民船の廃止まで数多くの移住が行われました。しかし、日本が戦後復興から、高度経済成長を経て、経済大国となる過程の中で、移民の数は激減し、個人的に新天地を目指す者を除けば、移住者は殆んどいなくなりました。それゆえ、移民先では世代が一世から二世、三世へと移ってゆき、現地民との混血も進み、また文化的にも同化が進み、日本人社会が日系人社会へと変容を遂げています(※日本人と日系人の違いの話は、Mar.24,26.2013 イグアス日本人移住地の記事参照)。



図書館には、日本語の蔵書が数多く あり、誰でも閲覧出来ます。移民関係の文献も豊富で、時間があれば、じっくりと見てみたい所です。幸い、横浜にある海外移住資料館にも蔵書があるそうなので、日本に帰った際は、訪れてみようと思います。




県人別の移民史も。各都道府県別の県人会の現地組織が、ここサンパウロにもあります。


現地発行の日本語新聞もあります。サンパウロ新聞にニッケイ新聞。ともに歴史ある新聞です。





リベルダージを歩いていると、ものすごく不思議な感覚になります。自分がこの街を歩いている時、在住の日本人・日系人以外の人に対しては、自分の場所にいるように感じ、在住の日本人、日系人に対しては、他所様の場所にいるように感じます。以前から、海外の中華街を中国人が訪れたらどんな感覚になるのだろうと疑問に思っていましたが、きっとこのような感覚になるのでしょう。



行列のできるラーメン屋まであります。自家製麺のこだわりのお店。

お店で物を買ったり、食事をしたり、この街では、基本的に全て日本語で用は済みます。もっとも、最近は新規参入の台湾人、韓国人、中国人も多く、日本語が通じない場所も増えてきているようです。

中にはこんなお店たちも。



こちらは正規に進出したお店たち。



ねぎ玉牛丼。こちらは生卵は出せないみたいで温泉卵。並盛10.90レアル≒500円。物価の高いブラジルにしては、かなり頑張っていると思います。


こちらはセントロにあるダイソー。6レアル≒275円均一だから少し高めです(アメリカでは1.5ドル均一でした)。


日本語書籍専門店。さすがに値段はかなり高めでした。


日本式の按摩店。


ちょっと昭和な写真のパッケージ。


信州そば、だけど茨城産。

日本語の通じる所では、現地の人にいろいろ話を聞くことができるので面白いです。ある文房具屋のおじさんと立ち話して聞いた話では、ブラジルは訴訟社会で、なんでもすぐ裁判になるそう。息子さんがブラジルの弁護士として働いているそうです。こちらは法学部を出ると、絶対評価の司法試験があり、合格点をクリアすれば資格がもらえるそうです。もっとも、最近は法学部の学生の質が落ち、不合格者も多いのだとか。
この方は、1980年代に個人的に渡航された方で、様々な商売をして、結果的に今の雑貨屋の仕事になったということ。どことなく、ロサンゼルスのリトル・トーキョーの雑貨屋のおじさんの人生と被ります。アメリカン・ドリームならぬ、ブラジリアン・ドリームを抱いた、そういうことなのでしょう。
息子さんは、日本で生まれ、まだ幼い頃にブラジルに渡航し、以後ブラジルで育ったそうです。その環境から、ポルトガル語、英語は堪能で、かといって日本語にも不自由しないということです。私のような、日本生まれの日本育ちの日本人は、いくら外国語を努力して勉強しても、このような環境に育った方にはなかなか太刀打ち出来ないのでしょう。だからこそ、母語である日本語を大切にしなければならないと思います。もっとも、日本のアニメ・マンガを原文で見たくて、日本語を習得したブラジル人も多いそうで、環境のせいにしてはいけないのかもしれませんね。


サンパウロは、都市圏人口2039万人。ブラジルのみならず、南米最大かつ、南半球最大の都市です。その全てを僅かな滞在時間に見ることは不可能なので、日本人街に絞って散策しましたが、セントロ地区も散策はしているので、その写真もあげておきます。






このガス台が42レアル≒1920円は安すぎるな、と思ったら、どうも分割払いの一回分の代金のようです。ブラジルでは、家電は分割で買うのが通常らしく、どのお店でもこのような価格表示になっていました。

さて、次は、リオ・デ・ジャネイロに向かいます。

Mar.28.2013 移動日(イグアス→サンパウロ)to Sao Paulo


この日は、パラグアイ時間午後3時半(アルゼンチン時間午後4時半)シウダー・デル・エステ発の、サンパウロ行きバスに乗ります。この先の行程(主に飛行機関係)を考えなければいけないのと、昨日イグアスの滝にボートで突っ込んでズブ濡れになって風邪気味なので、お昼すぎまでプエルト・イグアス(アルゼンチン領) の宿に居ました。
プエルト・イグアス(アルゼンチン領)から、シウダー・デル・エステ(パラグアイ領)までは、2時間に一本ほど直通バスがあるので、それに乗って移動します。なお、プエルト・イグアスからも、サンパウロ行きバスは出ているのですが、イースター連休前日の夜行バスとあって満席、ブラジル領フォス・ド・イグアスからもバスは多く出ているようですが、ブラジルは物価高、そこでパラグアイのシウダー・デル・エステで、アスンシオン始発のサンパウロ行きに乗ることになりました。ちなみに、運賃は全て比較したわけではありませんが、アルゼンチン発は492ペソ。それに対し、パラグアイ発は220000グアラニー。実勢レートで計算しても、パラグアイ発のほうが安く、おそらくブラジル発よりも安いでしょう。ほぼ同じ場所を出発するバスなのに、国境を跨ぐバスというのは、こういう不思議な現象が生じます。もっとも、航空券ほど複雑怪奇ではありませんが。


乗ったバスはブラジルの会社。予定より1時間ほど遅れてやって来ました。アルゼンチンのバスと違い、機内食も、ドリンクサービスもありません。途中で食事休憩として30分ほど停まります。停車場のキオスクの食事は高かったので、近くの食堂でテイクアウトの食事をつくってもらいました。ここはまだ、フォス・ド・イグアスなのですが、オブリガード(ポルトガル語)の世界。ずっとグラシアス(スペイン語)の世界だったので、ちょっと違和感があります。もっとも、カタコトスペイン語で十分通じます。


夜が明けると、ブラジルの高速道路。非常によく整備されており、サービスエリアもあり、ヨーロッパの高速道路のよう。さすがに経済力の差を感じます。インフラというのは、最も経済力の差が目につきやすい部分です。


サンパウロには、定刻より一時間半ほど遅れて到着。流石にブラジルの、そして南米最大の都市。ターミナルの規模もかなりの大きさです。また、地下鉄と直結されており、大変利便性も高いです。

さて、サンパウロは2泊のみ(イースター連休で、質のいい安宿はどこも満室で、まともな宿が見つかりませんでした)、大都市なので全てを見ることは不可能ですが、日本人街のリベルダージ地区を中心に絞って見て回ろうと思います。

Mar.25,27 イグアスの滝 Iguazu Falls













滝とは「動」の世界です。絶え間なく落ちる大量の流水、思考を奪う轟音、拭きあげる水飛沫。ウユニ塩湖の鏡張りが「静」の世界で、写真という静止画と最も親和性が高く、時に実物以上の美しさを表現してくれるのに対し、滝の「動」の世界は、残念ながら静止画ではその片鱗をも捉えきれないように思います。少なくとも私の技量では、その壮大さの一割も伝わらないでしょう。

イグアスの滝は、ただその規模において世界最大というだけでなく、滝の常識、滝の概念を覆してくるものでした。滝とは、上から下に水が落ちるもの、しかしここでは、滝壺から水飛沫が遥か上空に噴き上げて来ます。

悪魔の喉笛を前に、時を忘れ、只呆然と眺めているうちに、唯轟々とと崩落する流水に呑み込まれてしまうような、得も言えぬ恐怖をも感じる、その感覚を味わえたことが、ここを訪れた価値だと思います。