Mar.24,26.2013 イグアス日本人移住地 Iguazu Japanese colony


イグアス移住地は、1959年、日本政府とパラグアイ政府間に移住協定が結ばれ、1961年に入植が始まった、日本人の移住地です。日本人の南米への移住の歴史は古く、明治期まで遡りますが、移民のピークは終戦直後から1950年台。敗戦による外地の喪失と、ベビーブームによる人口爆発から、政府主導で移民が行われました。ここイグアス移住地はそれに遅れること10年、南米でも最も後期に開かれた移住地です。時は60年台、高度経済成長を遂げ、日本が豊かになり、移住希望者は急減し、ここが最後の開拓地となりました。


イグアス日本人会の本部。移住者の日本人コミュニティの自治組織であり、領事業務の代行も担う、役場のような機関です。日本人会は、日本人移民総体の意思決定のみならず、警察業務など治安維持活動も担います。




この地には、今の天皇陛下が、皇太子時代に訪問されています。


日本人子弟のための、日本語学校もあります。日本の田舎の小学校と同じような作りです。


パラグアイ国旗の隣に、はためく日の丸。


日本の小学校と、同じような標語。


ここは南半球、3月3日は、日本で言えば9月3日、夏の終わりのひな祭り。


遠く南米の地で描かれる富士と桜。どこにいても日本人の心の風景。




移住地の子たち。祖父の代が日本から移住してきた世代にあたります。両親は内地生まれ、移住地生まれ、それぞれです。


彼らと、自転車レースをしたり、商店にジュースを買いに行ったり、まるで小さい頃の日本の夏休みのように過ごしました。お店のおじさんも、移民の方。すべて日本語で通じます。


日本語学校は、週3日、学年ごとに交互に授業が行われます。今日は妹の登校日、お兄ちゃんが、自転車で迎えに行きます。

彼らは、パラグアイで生まれ、パラグアイで育った子どもたち。日本語学校とスペイン語学校に通い、会話にも日本語とスペイン語が混ざります。意思疎通には全く問題のないものの、日本人の日本語として聞くと、若干の違和感を覚えます。彼らのアイデンティティはどこにあるのか、まだ小さい子どもなので、直接的に「日本人か」と聞いたとしても、明確な答えは得られないでしょう。しかし、彼らが「パラグアイ人はすぐ物を盗む」などと「パラグアイ人」という括りで話すのを聞いて、自分たちは「パラグアイ人ではない何者か」という認識をしているのは確かでした。

もう一つ、印象的だったのは、遊んでいる途中、目を離した隙に、パラグアイ人が駐めていた彼らの自転車を盗もうとしたのに対し、小銭を掴ませ、これをやるからもう盗むなと、少年の一人が対応したことでした。日本では、日本で生まれ育った子どもなら、物を盗られそうになった時、お金を掴ませるということは決してしないでしょう。彼らはまだ10歳そこそこの年齢だけに、考えてそうしたというよりも、習慣的にそのような対応が身についているのでしょう。それだけに、ここで育つことが、「パラグアイの社会に生きる人」、それは「血」とは関係なく、非日本的な「文化」を持つ人を、作り上げていくように思います。


日本人と日系人、その違いは何か、そもそもそれは区別されるものなのか。ここ移住史料館で、移民一世の園田さんのお話を伺いながら、考えていました。

園田さんは、10代前半の頃、両親に連れられ、パラグアイにやって来たそうです。あるぜんちな丸に乗って、日本からやって来たのは1962年、幹線道路だけがかろうじて通るのみで、森林覆う原野を、木を伐採し、燃やし、トウモロコシを植え土を作り、大豆生産に辿り着くまで、開拓者たちが全て行ったそうです。時は、日本は東京オリンピックを迎え、高度成長期に入ろうとする頃、地球の裏側で発展する本国を見て、何度も帰りたいと思ったそうです。実際、本国に帰った開拓民たちも数多く居たそうです。それでも残った人々が開墾を続け、今では大豆生産を基軸に、パラグアイでも豊かな地域となりました。
もっとも、そのことが、パラグアイ人のやっかみを買い、移民排斥運動や農地解放運動のようなことも近年になって起きたそうです。それでも、日頃の勤勉さから尊敬を受けていた日本移民たちは、話し合いによりそれらも解決し、現在に至って、パラグアイ人と良好な関係を築いているそうです。

園田さん自身は、日本人の両親を持ち、日本で生まれ、日本の国籍を有します。その子どもたちも、パラグアイで生まれたものの、日本人を両親に持ちます。昭和60年1月1日より前に20歳以上であった人は、重国籍が認められており、両国籍を持つことができます。しかし、昭和60年1月1日以後20歳になった人は、どちらかの国籍を選ばなければ法律上いけなくなりました。このことが、移民の子孫たちにとって、重い選択になっています。(※国籍法改正によるもの。詳しくはこちら 法務省:国籍選択について

「日本人」を定義するとき、「血」と「国籍」が要素となると思います。そのうち、「血」は日本人だが「国籍」が日本人でないものを、「日系人」と呼ぶ。つまり、日系人とは、日系パラグアイ人であったり、日系アメリカ人、日系ブラジル人である人達の総称と定義されるでしょう。その場合、ここイグアスに暮らす人達は、「日系人」ではなく「日本人」。だから、ここは「日本人」移住地だということになるのだと思います。


開村直後の(おそらく)日本通り。


現在の日本通り。このあたりは市街地になっています。市街地の外は一面の大豆畑。


サッカーが盛んなパラグアイでも、ここでは野球が盛んです。ヤクルトスワローズで90年代前半に活躍した、岡林投手もここ出身です。



こんな張り紙も。


日系の名前のお店、日本語の看板も数多く見られます。



しかし、どこか日本語が変だったりもします。


随分と他人任せに感じられる標語。

移住地には、日本と同じ生活があります。こちらは日本人会運営の農協。





話題になった、食べるラー油まであります。




内陸国ですが、日本人にはやはり魚は必須です。


緯度で言えば、沖縄に相当する地域。蚊も多く、防虫グッズも数多く取り揃えられています。

食堂に入ると、特に日本食と謳っていなくても、日本食のメニューがあります。


とんかつ定食、20000グアラニ≒470円。


日本人の主婦方が週末だけ営業するラーメン屋さん。麺がコシがあって美味しい。スープはシンプルなあっさり醤油味。


餃子もありました。地球の裏側で食べる、ラーメン餃子というのも感慨深いもの。



冷やし中華もあるようです。デザートも充実。


あずきバー。この控えめな甘さというのは、日本人特有の感性なのでしょう。南米のお菓子はとにかくひたすら甘いです。


ちゃんぽん。白湯スープに魚介の出汁が効いた本格派。麺がゆるかったのが惜しいですが、スープは一級品。30000グアラニー≒700円。


鍋焼きうどん。出汁は関西風。セミが鳴く残暑の厳しい日に食べる熱々のうどんはまた格別。


お稲荷さん


テレビでは、NHKの連続ドラマ。カレンダーも日本のもの。まるで日本の田舎の食堂と変わりません。当然、お店のおばちゃんも日本人。冷たいお茶を出して下さる、日本的おもてなし。

イグアス移住地には、日本人が住み、もう一つの日本がありました。南米に日系人が多くいることは知られていても、日本人が住んでいるということは、意外に知られていないように思います。そのことは、ここに住む日本人の方々が一番感じており、日本はもっと、在外日本人との繋がりを大切にすべきだと言います。ここイグアスをはじめ、パラグアイでは、十分に国際的商品価値のある大豆が、日本人の手によって生産されています。しかし、大豆の95%を輸入に頼る日本は、その約4分の3をアメリカから輸入し、パラグアイからの輸入は0.1%にも満ちません(ちなみに、パラグアイは、アメリカ、ブラジル、アルゼンチン、中国、インドに次ぐ生産国です)。たしかに、中国人が、華僑ネットワークを駆使し、世界中でビジネスを行うように、日本人も、在外同胞にもっと目を向け、活用するべきではないかと、この地を訪れて、感じました。

イグアス移住地は、ただ日本食を食べられる場所というだけではなく、移民とは何か、日系人とはなにか、ひいては日本人とは何か、そして、日本人は世界でどう繋がっていくべきなのかを考えさせられる、非常に訪れる意義のある場所でした。

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