Mar.29,30 サンパウロ-日本人街リベルダージ- Sao Paulo Liberdade Japan town











何も言われずに、これらの写真を見て、これが地球の裏側の風景だと思う人はまず居ないでしょう。


サンパウロには、いわゆる「中華街」のような、日本人街があります。昨年末に訪れた、ロサンゼルスのリトル・トーキョーが日本人街としての機能を失っている今(Dec.14.2012 ロサンゼルスの記事参照)、大都市の「日本人街」としては世界で唯一です※。休日になると多くの現地人観光客が押し寄せる、横浜の中華街のような存在です。

※世界の主要都市には、駐在員関係など日本人の多く住む地域というのは存在しますが、街区として日本色を打ち出しているのはこれらに限られます。なお、日本人・日系人のコロニー(集住地)は、南米に幾つか存在します。



日本人の海外移住の歴史は古く、室町期には、現在のタイのアユタヤを始め、東南アジアに数多くの日本人町が形成されました。しかし、江戸幕府の鎖国政策もあり、次第に衰退、日本人町は消滅していきました。再び日本人の海外移住が始まったのは、幕末の開国、明治維新を経てから。幕末以降の急速な人口の増加により、労働力過多となった日本は、明治元年(1868年)にハワイへの集団移民を皮切りに、米国本土(1888年~)、ペルー(1899~)、そしてブラジル(1908~)と移民を送り込んで来ました。江戸期以前と異なるのは、これらが政府主導で、受け入れ国との移民契約が行われ、集団移民として政策的に行われたことです。

ブラジルへの移民は、1908年の笠戸丸移民を皮切りに、1930~34年に最盛期を迎え、1941年第二次世界大戦により途絶えるまで、戦前に約20万人、戦後も1953年の受け容れ再開から、1973年の移民船の廃止まで数多くの移住が行われました。しかし、日本が戦後復興から、高度経済成長を経て、経済大国となる過程の中で、移民の数は激減し、個人的に新天地を目指す者を除けば、移住者は殆んどいなくなりました。それゆえ、移民先では世代が一世から二世、三世へと移ってゆき、現地民との混血も進み、また文化的にも同化が進み、日本人社会が日系人社会へと変容を遂げています(※日本人と日系人の違いの話は、Mar.24,26.2013 イグアス日本人移住地の記事参照)。



図書館には、日本語の蔵書が数多く あり、誰でも閲覧出来ます。移民関係の文献も豊富で、時間があれば、じっくりと見てみたい所です。幸い、横浜にある海外移住資料館にも蔵書があるそうなので、日本に帰った際は、訪れてみようと思います。




県人別の移民史も。各都道府県別の県人会の現地組織が、ここサンパウロにもあります。


現地発行の日本語新聞もあります。サンパウロ新聞にニッケイ新聞。ともに歴史ある新聞です。





リベルダージを歩いていると、ものすごく不思議な感覚になります。自分がこの街を歩いている時、在住の日本人・日系人以外の人に対しては、自分の場所にいるように感じ、在住の日本人、日系人に対しては、他所様の場所にいるように感じます。以前から、海外の中華街を中国人が訪れたらどんな感覚になるのだろうと疑問に思っていましたが、きっとこのような感覚になるのでしょう。



行列のできるラーメン屋まであります。自家製麺のこだわりのお店。

お店で物を買ったり、食事をしたり、この街では、基本的に全て日本語で用は済みます。もっとも、最近は新規参入の台湾人、韓国人、中国人も多く、日本語が通じない場所も増えてきているようです。

中にはこんなお店たちも。



こちらは正規に進出したお店たち。



ねぎ玉牛丼。こちらは生卵は出せないみたいで温泉卵。並盛10.90レアル≒500円。物価の高いブラジルにしては、かなり頑張っていると思います。


こちらはセントロにあるダイソー。6レアル≒275円均一だから少し高めです(アメリカでは1.5ドル均一でした)。


日本語書籍専門店。さすがに値段はかなり高めでした。


日本式の按摩店。


ちょっと昭和な写真のパッケージ。


信州そば、だけど茨城産。

日本語の通じる所では、現地の人にいろいろ話を聞くことができるので面白いです。ある文房具屋のおじさんと立ち話して聞いた話では、ブラジルは訴訟社会で、なんでもすぐ裁判になるそう。息子さんがブラジルの弁護士として働いているそうです。こちらは法学部を出ると、絶対評価の司法試験があり、合格点をクリアすれば資格がもらえるそうです。もっとも、最近は法学部の学生の質が落ち、不合格者も多いのだとか。
この方は、1980年代に個人的に渡航された方で、様々な商売をして、結果的に今の雑貨屋の仕事になったということ。どことなく、ロサンゼルスのリトル・トーキョーの雑貨屋のおじさんの人生と被ります。アメリカン・ドリームならぬ、ブラジリアン・ドリームを抱いた、そういうことなのでしょう。
息子さんは、日本で生まれ、まだ幼い頃にブラジルに渡航し、以後ブラジルで育ったそうです。その環境から、ポルトガル語、英語は堪能で、かといって日本語にも不自由しないということです。私のような、日本生まれの日本育ちの日本人は、いくら外国語を努力して勉強しても、このような環境に育った方にはなかなか太刀打ち出来ないのでしょう。だからこそ、母語である日本語を大切にしなければならないと思います。もっとも、日本のアニメ・マンガを原文で見たくて、日本語を習得したブラジル人も多いそうで、環境のせいにしてはいけないのかもしれませんね。


サンパウロは、都市圏人口2039万人。ブラジルのみならず、南米最大かつ、南半球最大の都市です。その全てを僅かな滞在時間に見ることは不可能なので、日本人街に絞って散策しましたが、セントロ地区も散策はしているので、その写真もあげておきます。






このガス台が42レアル≒1920円は安すぎるな、と思ったら、どうも分割払いの一回分の代金のようです。ブラジルでは、家電は分割で買うのが通常らしく、どのお店でもこのような価格表示になっていました。

さて、次は、リオ・デ・ジャネイロに向かいます。

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