Apr.9.2013 リマ-日秘会館とペルーの日系社会- Lima Japanese-Peruvian society


明治32年(1989年)、北米への入植が難しくなると、日本人の移民先は南米大陸へと移りました。ペルーはその中では最も古く、ブラジルやパラグアイに先んじて日本人移民が渡航した先です。


移住の時期が早かったこと、そしてその後の日本とペルーとの国家関係によって、ペルーの日本人社会は、ブラジルやパラグアイのそれとは大きく違う様子を見せています。

きっかけは第二次世界大戦、連合国側で参戦したペルーは、敵国人である在留日本人の財産を凍結するなど、厳しい弾圧に出ました。その中で、主体となっていた移民二世の世代は、日本を捨て、ペルー人に同化する道を選ばざるを得ませんでした。そのため、現在のリマの街には、多くの日系人が暮らすにもかかわらず、日本人町的な街区はどこにもありません。

唯一「日本」があるのが、日秘会館ですが、ここで働く二世の方(両親が日本生まれの日本人の方)であっても、日本語が十分には使えない方が殆んどでした。ペルーでは二世の世代も大分高齢化が進んでいますが、ブラジルやパラグアイでは、二世の方であれば十分流暢に日本語を話せていたのと比較すれば、その違いは顕著でした。

日秘会館の建物




日秘会館は、日系人のカルチャーセンターのような役割をしています。ラジオ体操をする皆さん。太平洋の反対側でラジオ体操のテープを聞くのも不思議な感じです。


日本語書籍の図書館もあります。しかし、サンパウロに比べ蔵書数も少なく、書籍の更新も十分でないように見受けられます。


もっとも、ペルー社会に同化した日系人は、ペルー社会の中で政治経済の面で、ペルー人として力を発揮しています。特に顕著な例は、アルベルト・フジモリ元大統領の存在でしょう。1990年から2000年まで大統領を務めた、ラテン・アメリカ初の東アジア系の国家元首でした。その功罪は評価の別れる所ですが、、娘ケイコ・フジモリ議員が、2006年の総選挙では一選挙区における歴代個人最多得票数で当選、2011年の大統領選挙では、僅差で次点となりましたが、相当の支持を得るなど、その影響力は依然大きいものです。


ペルーの日系人でもう一つ特徴的なのは、沖縄からの移民が圧倒的多数を占めることでしょう。そのため、日本食レストランでうどんを頼むと、沖縄そば風のうどんが出て来ました。


サン・イシドロ地区にある、唯一の日系商店。

リマに関しては、日系社会が街に溶け込み、それが見られなくなっているのが特徴と言えるでしょう。サンパウロとの対比で見ると、大変興味深い事実でした。正確な統計はありませんが、それでも、ブラジルに次ぐ数の日系人が、リマを中心にペルーに居るのは事実です。

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