東京に戻ってきました

鹿児島での10ヶ月の実務修習を終え、東京に戻ってきました。司法修習最後の2ヶ月は和光の司法研修所での集合修習です。鹿児島生活では、九州に居る間にと九州・南西諸島を巡るのに忙しく、ブログを纏めている暇がありませんでしたが、東京に戻って少し落ち着いているので、順次記事を書いていこうと思います。だいぶ過去のものになってしまった海外編も、何とか手をつけられればいいなと考えています。

北大東島


南大東島の北8kmに浮かぶ北大東島。南大東島と同じく隆起珊瑚の島です。南大東島と異なるのは、かつて燐鉱石が採取されたこと。その関係で、南大東島の南150kmに浮かぶ無人島の沖大東島も北大東村に含まれています。今は北大東島も燐鉱石の採取は行われておらず、かつての工場が廃墟となって残るのみです。


大東諸島は、周囲約300kmにわたって島がない絶海の孤島、海底火山の頂上に出来た隆起珊瑚の島で、周囲はすぐに水深が1000m近くになるため、海の色が違います。沖縄の海がエメラルドグリーンならば、こちらはコバルトブルーといったところ。深い深い青色に吸い込まれそうな錯覚さえ覚えます。


北大東島は、隆起珊瑚の外壁が島内にはっきりと残り、屏風のように聳えます。壁には人の手が入っておらず、大東島固有の生物が数多く棲息しています。


南・北大東島には、4日に一度、那覇から貨客船がやってきます。しかし、南・北大東島には、その島の形状から埠頭が作れず、接岸できる港がありません。そこで、船を岸壁の沖合に係留し、クレーンで荷下ろしをしますが、人も例外ではありません。人も籠に乗せられ、クレーンでつり上げられ、乗船・下船するという、不思議な体験をすることができます。

南大東島


南大東島は、沖縄本島の東方約400km、水深4000mの太平洋上に忽然と姿を現す絶海の孤島。周囲を10mの隆起珊瑚の断崖が囲み、長年人の上陸を拒み続けてきました。そんな島も、明治期に開拓団が入り、一面のサトウキビ畑が広がる島になりました。隆起珊瑚という島の形成上、中央部がくぼみ、周辺部が高くなっているので、水平線が見えず、沖縄の離島にもかかわらず、どこまでも畑が広がる北海道のような風景が広がります。


島には、かつてはサトウキビ運搬用の鉄道網があり、蒸気機関車が島を走り回っていました。現在は運搬はトラックにかわり、収穫の時期になると大型のトラックが島を走り回ります。


大東諸島は、開拓の経緯から、沖縄の他の異なり、琉球文化圏にはありませでした。そのかわり、開拓団の主な出身地である八丈島の文化の流れを汲み、本土式の神社や、漬けマグロと漬けサワラを用いた八丈式の島寿司が見られます。


八女福島


福岡県八女市の中心、福島は、江戸時代末期から明治初期に立てられた、居蔵と呼ばれる土蔵作りの街並みが特徴的な街です。天正15年(1587年)福島城が築かれ、慶長5年(1600年)の大修築とともに城下町が形成され、天和6年(1620年)に廃城となったあとも、八女地方の経済の中心地として栄え、往還道路沿いには、二階建ての大きな商家が軒を連ねる街並みが形成されました。その後、車社会の到来で商業地区としての役割は失いましたが、開発の波に飲まれることなく歴史ある街並みが今に残されています。






八女は、国内有数のお茶の産地。郊外には巨大な茶畑が広がり、市街にも八女茶を売るお茶やさんを数多く見かけます。



町家の外れには、神社の境内に飲屋街が形成された、不思議な一角があります。




福島は、明治期に鹿児島本線のルートから外れ、終戦後すぐ国鉄矢部線が出来たものの、昭和60年に廃止になり、鉄道はありません。筑後福島駅は、現在も駅跡が公園として残り、当時の駅舎が物置として移築され残されています。

矢部村


矢部村は、福岡県南部、大分県・熊本県との県境に位置する山間の村、八女福島から矢部川を車で1時間ほど登った、福岡県の最奥地です。羽犬塚から筑後福島を通り、黒木まで作られた所で廃止された、旧国鉄矢部線が目指した村です。


村内は殆どが山で、矢部川とその支流の谷間の街道沿いに、集落が散らばる、人口1400人ほどの小さな村です。 わずかに開けた場所には、商店街と、公共施設があり、村の中心となっています。



国道442号線を東に進むと、竹原峠を越えて、大分県の中津江村へと入ります。かつては急な山道の峠越えでしたが、今はトンネルが出来たため、短時間で抜けることが出来ます。



村の中心部には、二つの神社が並んでいます。一つは集落の氏神様、もうひとつは村全体の氏神様だそうです。



この日は、偶然にも、神事が行われる日でした。偶然通りかかっただけでしたが、村の皆さんの好意で神事に加わらせて頂くことになりました。



村の繁栄を祈り、集落の人みんなで百度参りをします。私もその一員に加わりました。


区長さんが代表して、神主さんとともに、氏神様に祈願をします。


村の奥地にには、南北朝時代にこの地に移り住んだ御征西将軍良成親王(後村上天皇の皇子)の御陵墓があります。


先ほどの神事では、京の歌が歌い奉納されていました。八女地方でも矢部村だけだそうで、かつて皇族が移り住んだ名残は、そんなところにも残っていました。


八女地方(八女郡、現在の八女市)の名前の由来となったのが、この八女津媛神社。岩と森に囲まれた神社は荘厳な雰囲気です。


矢部村は、比較的、大都市福岡に近い場所ながら、深い山と荘厳な神社を見ることが出来る村です。集落での伝統的な神事が継承されているのも素敵ですが、やはり後継者不足に悩まされいるそうです。人口1400人ほどの村も、八女市に合併して以降、役場の職員数も減り、周辺の飲食店や商店も減るという、市町村合併に伴い生じる現象が見られているようです。行政の効率化と、過疎地振興を両立させることの難しさは、地方の村部を旅していると、常に感じます。

筑後吉井


筑後吉井は、福岡県の筑後川中流域、旧浮羽郡(現うきは市)にある街。江戸時代に城下町久留米と天領日田を結ぶ豊後街道の宿場町から、筑後川の物流の集積地として発展し、明治から大正期に在郷町として隆盛を極め、当時の商家がこぞって建てた居蔵屋と称される蔵作りの街並みが、今に残っています。




旧豊後街道の国道210号線沿いとその周辺に、数多くの居蔵屋が立ち並ぶ景観は見事です。






街道の裏手には、吉井の発展を支えた運河が今も残っています。






吉井の街並みは、八女福島と並んで、商家の街並みとしては九州屈指の素晴らしさでした。

秋月


秋月は、福岡県筑前地方、筑紫平野の縁に築かれた城下町。その街並みは、筑前の小京都と称されます。




福岡藩の支藩として、黒田氏により整備された城下町は、四季の季節感を感じられる品のいい街です。今は紅葉の初めですが、春には桜の花が美しい並木道です。









筑前の小京都と称されるだけあり、小規模な街ながら、神社仏閣が数多く点在し、巡り歩くのも楽しい街でした。福岡からも車で一時間ほどですので、休日にちょっと出かける先としても良いでしょう。